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ご注意ください。


第九地区からファンになった監督の最新作。

チャッピー。

上映前から色々とツッコミがありましたよね。
政治的理由からなのか分かりませんが、ゴアシーン(残虐シーン)をカットされたのも記憶に新しいでしょう。
たくさんのメディアがその行為を取り上げ日本で連日報道されたからでしょうか?
しかしこういった規制はあまりにも残酷だなぁと思います。

主に規制自体も悲しいことではありますが、この件に関して監督の了承を得なかったことが
最もこの事を有名にした原因ではないでしょうか。
にも関わらず規制に関わった会社が提示した文書には
監督の了承を得て、との一文があったそうで。
もしかしたら今回の件で浮上してきただけで、実は今まで規制されてきた映画も、そんなもんなのかもしれません。

個人的に見た感想として、もしただ単純に年齢層を下げる理由でゴアシーンをカットしたなら
あまり意味ないように感じました。
広い客層を取り入れるにしても、大学以下の学生たちが興味を示すかどうか
というと、かなり厳しい気がします。
実際見に行ったら、やっぱり30代から50代の人たちが見に来ていて
大学生かな?という人は本当に少なかったです。






▶︎感想

シナリオとしてもデザインとしても本当に素晴らしかったと思います。
この映画で主に描かれているのは


残酷な純粋さの追求

少数派になる理由は唐突に現れること、また、それが多数になった時、常識となること

死の価値観について


だと感じました。


まずチャッピー自身が人間とは一体どういうものなのかを学んでいくにあたって
ゆっくりと学ぶ工程の時間を与えられないまま、幼い心のまま強制的に大人になってしまう。
戦争に参加する子供の描写な気がしました。

チャッピーは試作品であり、元々廃棄処分予定であって
バッテリーが5日間しか保たないこと、引き取られた先のギャングの命が掛かっている
借金返済予定日がうまく重なってしまった。
 
5日間の間に、自分を作った開発者の
人を傷つけてはならないという教えと
自分の寿命の為にお金が必要で、このお金があれば生きられる
と騙されたチャッピーの葛藤がとても人間らしくて
それを子供のまま決断を迫られる様子は、なんだか来るものがありました。
どれを見ても大人に利用されるコドモにしか見えなくて
こんなことが実際におきる地域も、まだまだ地球上に存在するのだなあ。
なんて考えながら見てました。 


そしてなにより
この映画のもっとも素晴らしいところは
観客への問いかけと、委ね方だと思っています。

この映画を見て、どんな感想を抱くか、その人の価値観や人生に大きく左右されることでしょう。
そういう映画が大好きです。
 
いろんな見方や、いろんな不快感があっていいと思っています。

ちなみに自分はチャッピーの行動に疑問を抱きませんでした。
彼がロボットだからです。
皮肉なことに彼を人間のようにしたいと思いながらも
結局はチャッピーにチャッピー自身がロボットであることを前提とした説明をしてしまう。
良いのか悪いのか、人の中身とチャッピーの中身は違いがない。
魂には違いがない、差別はしてはならない。
という教えのその絵本も手伝ってか、チャッピーはとても純粋な選択をしてしまう。
教えられてきた内容と、自分自身がロボットであることを自覚した
純粋で残酷で、そして「差別しない」選択。 

その選択によって得た結果をみて
人間の生死について考えさせられました。


でも自分はそんなチャッピーの選択を否定することはできません

今現時点で我々は、スペア交換を行っているからです。
つまり移植や、失った手足、メガネで補う視力。
それに変わるものを身につけてハンディキャップを無くす。

不便だと思った瞬間、それは医学と科学の進歩遅れだ、なんて考え方もあるくらいなのです。
そして細胞の開発によりどんどん機械的ではなく
生物的に、スペアを交換していくことに成功してきています。
そして今度は頭部の移植。
ちなみに、頭部の移植は可能だと言われており、研究が進んでいる記事を見たことがあります。
成功したんだっけ?

この時点で伺えるのは、スペア交換を、すでに我々はしており
チャッピーで描いていた、精神移植のストーリーに
形は違えど、あまり変わらないことなんじゃないかと思ったんです。

そしてその結果、命の《重さ》にメスが入っていくわけですね。

医療や科学が発達し長く生きられるようになった結果
チャッピーで描かれたように「魂は別の場所にいって」生きることになるのでしょうか。
そのときもし、映画をみてどこか間違っていると思ってしまった自分がいるのなら
いったいその人はどんな思いで、自らの家族が「別の場所で生きる」ことを思うのでしょうか。


ここまで考察したり、振り返ったりできるような映画や作品って
なかなか巡り会えないものだと思うんです。

ただ一つ、規制によるシーン削除を除いて残念なのは
尺の都合で入れられなかった家族シーンがあったことです。
ママの精神移植の際にちょっとだけ見えた団欒の時間は、もう少しあったのだそう。
あのままだとニンジャが威圧的なキャラクターで終わってしまうので、一応補足です。


映画やゲーム。触れるメディア。
どれか一つでもそういったものに関われるよう、努力をしたいと思っています。