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龍が如く0いまさらながらずっと楽しませてもらってます。
最近この龍が如くにもう一度触れることによって
学生時代からおもってたことがちょっとづつ確信に変わっていくのを感じています。


そんなちょっといまさらな話をします。


確信にかわったってやつですけど
現実を舞台にしたゲーム、本物の役者さんをつかったゲームってありますけど
龍が如くって本当に奇妙なバランスのうえに成り立ってるなと。
もう一度遊んで、そうだなーって。


「現実的でないものが現実にいることを前提に進行する」もののなかでも
「日常間が強い」ゲームだからかもしれませんね。
たくさんのファンの人たちが楽しむ二次創作の中でも
キャラクターのちょっとした日常や作品以外の印象を描くものは多いのですが
それは「キャラクターの生きていることの実感不足」からくるものだと思ってるんです。


こういうと否定的意見にみられるかも知れませんが、キャラクターが生きていると実感できるのは
「その作品にいるときだけ」だと思っています。
つまり戦争とか、ちょっとしたサバイバルな世界に立たされた主人公が
そうなる前は、家ではごろごろしてて、バーモンドカレーが大好き!みたいな。
その中では生きているけど、そこをはみ出した瞬間に、別の生き物になっていく。
人格を持ち始めるというか。

それがファンの描く領域で、ちょっとでも違う瞬間を見たいとか
こういうときはこういう人だよねっていうのを補う瞬間に、あ、生きてないな、こいつと思うわけです。
というよりも、この主人公はこの世界を生きていくために生まれたんだ、って実感します。
ここから出せるのはファンだけで。
(開発に携わればまた違う印象でしょうが、結局プレイヤーは見られない領域なので)
 

で、その枠をはみ出していく瞬間が、キャラクターが自立して一人で歩いていくことだと思ってるんです。
ファンと開発の共同作業みたいな(笑)

 

まあ何がいいたいかというと
龍が如くって領域ちょっとはみ出しつつ枠に収まってるゲームだなあって思います。
キャラが自立しはじめつつ、でもゲームのなかに収まってる。
そこが凄く不思議で、プレイヤーである自分=桐生なのに
彼の生活を垣間見てる気がしてくるんです。選択者は自分なのに。
そこが魅力的だなーって。

0だと、家とかいけるんですよ。桐生の。
カップめんのパッケージが落ちてて、あーやっぱり自炊してないって。
掃除もしてないのかよって。
真島の部屋なんてなーんにもなくて、たてつけの悪い戸棚とか
何もなさにいつでもどこか遠くにいけちゃう。
逆にその人の人生見えちゃうとか。


そういうところを積極的にかいていくゲームってあまりないなって思いませんか?

ゲームの中なのにキャラが自立し始めることってあるんだってちょっと感動したり。
0プレイしてよかったな、最近の劇みて衝動買いして良かったな。って思いました。

龍が如くシリーズもファンが日常やキャラの交流を描いていて、ファンの貪欲さも感じられます。
あれだけゲームの中で自立し始めちゃうとどうかなと思うんですが
まったくそんな心配はなかったという。
だから恐れなくていいんだと感じました。
どんどんリソースをだして、その世界から一歩ずつ領域を脱出していく手伝いをしたとしても
ファンにとって見たいところはたくさんあるし、尽きないんだと感じました。
確かに自分が強烈なファンやってる作品だと
もうそのキャラクターや登場人物すべての人生を録画したテープをよこしやがれ!!!
人工知能をよこせ!!
明日なにたべるか一緒に考えるからぁ!!と思うので。
そりゃそうかも...。とも思います。

だって桐生さんパクチーとか食べられるかな?
とか思うあたりが、公式もたぶんそこまでカバーしねえよwwしらねえよwww
って思うところですからね。

もうこれだけシリーズでてるし、そろそろ桐生さんが新宿にいてもおかしくないな。


あーあと今回、実感できたことがもうひとつあって。
よく前日の話とか、「シリーズ0」とか原点とかやりますけど
無駄じゃないなと思えました。よくあるあるwと馬鹿にされますが。

友人のおかげで知識カバーできているとは言え
龍が如くシリーズ、実はちゃんと自分でプレイしたのは多分2作目以来、久々。
自分でプレイすると面白っていうのは当たり前として
今回買う理由の一番は、今までの知識がいらないって部分に惹かれたので。
新規...ユーザー?獲得?過去からのリベレーション?
客入りましたよー!スタッフー!